2023.12.01
#面白法人カヤック社長日記 No.126やなさわ流 悩んで眠れない時の対処法
2023年ももうすぐ終わりですね。今年もいろんなことがあったのではないでしょうか。
今年、この社長日記では「上場」について毎月書いてきました。そんな中で今回は、唐突ですが、仕事で悩んでいて眠れなかったり、ふと気づくとそのことばかり考えてしまう状態が続いている時、そんな時に僕が取り組む思考プロセスをシェアしてみたいと思います。
(※なお、以下は自分なりの経験則から得た独自の方法なので、心理学的、学術的に正確な裏付けがあるものではありません。念のため)
ステップ1
まずは、自分が何に不安を感じているのか、何に恐怖を感じているのかを言語化する。
紙に書き出すでも、誰かに話すでもどちらでも構いませんが、言語化する。これができた時点で、50%ぐらいは改善されます。
わからないことへの不安と恐怖によって、大抵は必要以上にネガティブに考えているからです。
ステップ2
これから起こりうる最高のケースと最悪のケースを考えてみる。
次に、その不安や恐怖はほとんどが現在に対するものではなく、過去や未来に対するもの、中でも未来に対して、これからも永遠に続くとか、さらに悪くなっていくと考えることによって憂鬱になり認知が歪みます。そこで、未来を想像して、これから考えられる最高のケースと、最悪のケースを考えてみます。ただ、極端に不安な状態の時はうまくいく最高のケースをおそらく考えられないことも多いです。そこまでいってるときはとにかく休むことが重要です。その一歩前として、僕はやれそうなときはやってみることにしています。なぜ、最高のケースを考えるかというと、実際の未来は、最悪のケースと最高のケースの間になることが多いのですが、最悪のケースばかり考えてると現実的なその未来を描けず、そっちにずっと引きずられてもっとネガティブになっていくからです。なので、できる範囲でいいので無理やりにでも最高のケースも考えることでバランスが取りやすくなります。
ステップ3
最悪のケースを思い浮かべて、その状況になった時の自分を受け入れます。
こんな状況のときは、最高のケースを考える気が起きないので、順番としては最悪のケースの方を先に考えるパターンが多いのですが、最悪のケースを想定することで意外となぜだかすっきりする時もあります。それはただ漠然と未来に対する不安になっていただけで、最悪のケースを考えると意外とそれほど最悪じゃないかもしれないなと思うこともあるからだろうと思います。そのあとに最高のケースを考えることで比較的フラットな気持ちに近づきます。
その後、最悪のケースになることを思い浮かべて、俯瞰して状況を見つめてみます。そうすると、最悪のケースがなぜ苦しいのかは、そのケースが自分の理想には程遠く、その理想とのギャップに苦しんでいることに気が付きます。
そこで、その理想を一旦手放して、諦める。という作業に入ります。理想の自分を諦めるというとなんだか沈んでしまうので、こだわりを手放す、捨てる、理想にこだわりすぎない。という感じでしょうか。
あるいは理想はないのだけど、理想とは逆に、そもそもこうはなりたくないという状況や人間に自分がなってしまうことに対する恐怖なのかもしれません。こうなりたいという強い思いと、こうなりたくないという強い思いは、別といえば別です。ただどちらもこだわりという意味では一緒で、むしろこうなりたくないという強い思いは、もしかしたらそういう状況を引き寄せてしまうトリガーなのかもしれないなとも思うこともあります。
ちなみに、ここで想定した自分にとっての最悪はもしかしたら他者が聞いたら大したことないと言うかもしれません。あるいは、自分よりもっと最悪な状況に陥っている人もたくさんいるかもしれません。ですが、同じような状況でも他者がどう感じるかなんてのは、人それぞれ違うので、そもそも他者との比較をしない方がよいです。ただ、どうしても人と比較してしまうのは多かれ少なかれ誰にでもあるので難しいのですが。とにかく自分にとって、最悪だと思う状況になる自分を諦めて受け入れてしまうのが先です。
ちなみに、冒頭に学術的な裏付けがないと書きましたが、心理学の世界で行動療法のひとつとして取られる「フラッディング法」というものがあります。もっとも怖い、もっとも辛い体験を最初にさせることで、その行動への耐性をつけるもので、高所恐怖症などに対して使われる方法があり、そこに少し似てるかもしれません。実際に行動させるのではなくイメージで行う「インプロージョン」という行動療法も存在しているようです。
ステップ4
とにかく自分を責めない。
これは上記、ステップ3の受け入れるということをもう少し言い方を変えて補足したものになります。
理想の自分になれない最悪な状況の時にそれを解消しようと思うと、誰か他人のせいにするか、あるいは自分自身のせいにするかとか、ときには何かに取り憑かれていて幽霊のせいだということに向かいがちです。
このうち、どれが追い込まれているときに一番きついかというと、自分自身のせいにして自分を責める方向に行くほうがきついのではないかと思います。普段は他責にせず自責を潔しとしている人でも、ほんとにやばいときは、とにかく、仕方がないよなぁ・・と、自分自身を責めずに許すことも重要です。自分自身を愛せない状況、自分がもういなくなってもいい、どうでもいいと思うと他者への思いやりもなくなります。自分を愛していれば他者も愛せます。
ちなみに自愛が慈愛につながるという理屈でいくと、もしかしたら、一見他人のせいにして、他人を責めているとき、実は深層心理では自分のせいにしているということからくる可能性もあります。
そのように考えるととにかく自分も他人も人外のものにも、誰のことも責めないということが重要なんだろうと思います。
いったんここまでが区切りです。
ただ、同じようなことが定期的に訪れて、それ自体を望んでいない場合は、以下を追加します。
ステップ5
この悩める状況がよく起きるのは、自分の思考の癖(引き寄せの法則)による
悩める状況によって自分が成長したり、気づきが増えたりすることは、人生において悪いことではないと思います。不安があるから希望がある、不安がなければ希望もない。そういうものだろうと思います。
ただ、自分の思考の癖によって、不必要に、必ずしも望んでないことを引き寄せている可能性もあります。引き寄せの法則的には深層心理で望んでいることを引き寄せているという考え方もできますが、思考の癖によって望んでしまっているということもあり、思考の癖を理解すると望むことも変わり、望むことが変われば、起きる事象が変わり、その過程で、勝手に周囲の環境が変化していくということになります。
この最後の5つ目は、一番難しそうです。この変容を目指して認知行動療法のような心理療法があるぐらいだそうなので。自分にもやすやすとできる気がしません。そもそも自分の思考の癖に気づくのが至難です。ただそういう法則的なものはあるんだろうなと信じることにしたいと思っていますし、癖に気づく時点で1歩前進だろうなと思います。
以上です。
ちなみに、そもそも悩んでいるときは考えることすら億劫で、とにかく何も考えず、へとへとになるぐらい運動をたくさんした方がいいとか、特に反復運動がいいとか、眼球運動がいいとか、指摘されそうですし、その通りだなとも思います。また上記で書いた悩みは仕事における悩みで、もっと自分の命に関わる健康上の悩みとか、そういうレベルのときは通用しないかなとも思います。仕事はある意味人生の一部でしかないとも言えるので。
それから、そもそも、悩みが比較的少ない通常運転のときにこそ、前提として、素敵な仲間に囲まれていたり、自分の居場所があったり、ご飯が食べれたり、生きていることだったり、そのことだけで十分感謝に値することはあるので、感謝できることにフォーカスして「ありがとう」という言葉を念仏のように唱えるということは最初にするとよいことかもしれません。
あ、もうひとつ。
眠れない時は、戦場でもたった2分で寝れる米軍直伝の睡眠法というのもネットで調べるとでてきます、これ意外と僕は使えました。
今回の社長日記は以上です。
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このブログが書籍になりました! 特別対談「うんこの未来」のおまけつき。